中村哲医師の死に想う ニュースの読み方(2)

中村医師が人生を捧げたアフガニスタン。

アフガニスタンの近現代を振り返ると、

それは大国の利害に巻き込まれた戦争の歴史に満ちています。

20世紀初頭の“アフガン戦争”では、中央アジアの覇権を狙う

ロシアとイギリスの敵対関係に巻き込まれ、

断続的にイギリスと3度の戦争を起こしています。

その後、戦火の止んだ1950年代~1970年代半ばまでの

アフガニスタンは東西両陣営からのつぎはぎ援助のもとで、

近代化と欧米化が進み、今では信じられないほど

きれいな街並みも一時期は存在していました。

しかし、この援助には東西陣営の思惑があったため、

1978年、アフガンでソ連に支援された

共産政権が樹立すると、アメリカがこれに反発。

アフガニスタン紛争(1989~2001)が起き、

再び国が壊されます。

この頃から各地でソ連に対抗する反政府ゲリラが生まれます。

その背後には、ソ連の利権を奪うために動いた

アメリカの存在がありました。

アメリカの裏権力として動く諜報機関CIAは、

反政府ゲリラに金銭と武器を供給し、

アフガニスタンを中心に中東諸国で

数々の武装勢力を生み出していきます。

これらの武装勢力は、ムジャーヒディーン、タリバン、

アルカイダ、そしてISへと、時と場所で

名前や組織形態を変えながら存続していきます。

中村哲医師は、アメリカそして、その背後の金融権力の

支配欲と思惑がうごめくアフガニスタンで、

「武器ではなく、命の水を」という信念を持ち、

本物の人道支援活度活動をしていたわけです。